About Anthony Wong

黄耀明と巡る魅惑の宇宙

A Fan's Opinion 香港人ファンに黄耀明のことを聞きました

(2018年の私より: 北米での黄耀明情報や、張亞東、盧巧音の音楽を紹介してくれたWさんに感謝して再録)

 

ある日、私の頭に浮かんだ素朴な疑問。「黄耀明は、はたして本当に人気があるのか?」 ベテランであることは間違いないけど、曲はそこそこ売れてるみたいだけど、雑誌「音楽殖民地」の人気投票ではダントツ人気だけど、それってやっぱり「マニア受け」ってやつなんじゃ…?

そこで、香港人の黄耀明ファンにメールでインタビューしてみました。答えてくれたのは現在アメリカ在住のWさん。お気に入り明星は黄耀明、林海峰、陳奕迅、王菲、それにクランベリーズと日本のバンドいっぱい!とのことです。ではさっそく質問にいってみよーっ! 

 

Q1.アンソニーは香港で本当に人気があるの?(いきなり直球)

A1.まず最初に…香港のエンタティンメント業界はとても奇妙なもので、今日まで生き残ってきた良質な音楽や真の才能はそれとは全く別種のものです。アンソニーやビヨンドをはじめ、本当に才能のあるソングライターやシンガーは音楽をやっている人々に尊敬されています。その意味では人気があると言えるでしょう。でも普通の人はそんなことには関心がないんです。彼らはテレビで見栄えのするアイドルを見たいと思ってるだけだから。
 
Q2..もしあなたがアンソニーのコンサートを見たことがあれば、感想を聞かせて下さい。

A2.私はまだアンソニーを生で見たことがないんです。でもビデオやLDで見た印象はいい感じですね。全体的なコンサートの雰囲気もとっても感動的です。ステージでの彼は、完全に音楽の中に、彼自身の世界へと入り込んでいるように見えます。私は彼のそういうところが本当に大好きです。
 
Q3.私が知る限り、日本でのアンソニーのファンは20代後半以上の人が多いんですが、香港ではどうですか?

A3.彼のファンの中で20代後半から30代前半くらいの人々が占める割合は大きいですね。香港では若い子たちの多くはそれほど音楽に興味を持っていません。彼らが求めているのはアイドル。テレビ番組でくだらないゲームをやったりするようなアイドルです。それから、アンソニーの歌のメッセージは10代をターゲットにしているわけではないと思います。彼の曲の多くは十分に練り上げられたコンセプトがあって…ときどき理解するのが大変ですから。
 
Q4.香港の人々は彼をどんなふうに評価しているのですか?

A4.ほとんどの人は彼の名前は聞いたことがあっても、音楽については知らないんじゃないでしょうか。彼はヒットチャートのトップになるような曲をいくつか持っているけど、香港には彼の曲のタイトルを一つも知らないという人もたくさんいるでしょう。私の個人的な意見ですが、彼のスタイルはPopとAlternativeの中間にあると思います。これからもその絶妙なバランスを保っていってほしいです。
 

……やはりマニア受けか?黄耀明。しかしヒット曲も出せる彼はテレビにもばんばん出るし、いわゆるゲイノー的な活動もなさってますし。完璧に欧米のロックスターそのものではないところが日本のファンにとっては新鮮な魅力として映るのではないか、と私は思っております。香港でしか生まれ得なかった個性というか。もし黄耀明がイギリスに生まれていて、成功していたら「イギリスは税金も高いし政治も最悪だね」とか言ってLAに豪邸買うようなありきたりなミュージシャンになってた…とは想像したくないっスね。やはり彼が香港に生を受けたことは天の思し召しでごさいましょうか。

(2018年の私より:「マニア受け」連呼してるけど、紅體育館で演唱會できるんだからどう考えても大メジャーですわな。ファンの年齢層については、日本において香港芸能のファン自体が高めだったから、特筆することでもなし。若いころに様々なエンタメに触れてきた人が、大人になって新たな楽しみの扉を開いた、という事ですね。香港に行くようになってからは、若いファンも多いということを実感しました)

むっちゃ無理して英語で書いてみた

(「ほーむぺえじを公開すると、中華圏の人に見られてしまうかもしれん!中国語ができないならせめて英語ページの一つでも用意せんと」と若き日の私は思ったらしい。英語ができないのに背伸びしてこんな文章をアップしていたが全く記憶になかった。おそらく「英語からの翻訳調の日本語で下書き⇒infoseekなどで英訳⇒日本語訳⇒再度英訳」みたいな流れで作成したと思われる。自分で英文読んでも意味がわからないので自分のためにweb翻訳した後、手動でほんの少し修整済み)

 

Talk about Anthony
 
I am not an old fan of Anthony.
It was spring in 98, I found the CD which contained "Forbidden colors" in the store .
At that time, though I didn't know fully yet about music of Hong Kong, I felt something special from the title of his song.
(As you know, "Forbidden colors" is the famous novel of Yukio Mishima and even a song of David sylvian).
The songs of Anthony were more wonderful than my expectation.
 
Though I liked Faye Wong and Sandy Lam, after I listened to the song of Anthony,they disappeared from my world...
 
From the day,I began to collect his album and information .
By Internet, I could know various information about him and
the existence of many fans like me.
It is very pleasant to read the thing which they tell on Anthony.
 
I wish I could argue the words of his song as the people who speak Cantonese.
I imagine the meaning of the words as much as possible with examining it in the dictionary.
Other Japanese fans will probably do so, too.
 
The words of his song are not his own works.
But,when he sings a song, the word becomes his.
I think that he and his fan knows it well.

Did I praise him too much?
How do you think?


by Tanayan (16/Sep/1998) 

 

アンソニーについて語る

私はアンソニーの古いファンではない。
98年の春、店内に「禁止色」を含むCDが見つかりました。
その当時、香港の音楽はまだ完全にはわかっていませんでしたが、私はその曲のタイトルから特別なものを感じました。
(あなたが知っているように、「禁断の色」は三島由紀夫の有名な小説であり、David sylvianの歌でさえあります)。
アンソニーの歌は私の期待よりも素晴らしいものでした。

私はフェイウォンとサンディラムを好きだったが、アンソニーの歌を聞いた後、彼らは私の世界から姿を消した...

その日から、私は彼のアルバムと情報を収集し始めました。
インターネットでは、彼に関するさまざまな情報を知ることができました。
私のような多くのファンの存在。
彼らがアンソニーに伝えることを読むのはとても楽しいです。

私は広東語を話す人として彼の歌の言葉を議論することができたらいいと思う。
私は辞書でそれを調べることで、できるだけ多くの単語の意味を想像しています。
他の日本のファンもそうするでしょう。

彼の歌の言葉は自分の作品ではありません。
しかし、彼が歌を歌うとき、その言葉は彼のものになります。
彼と彼のファンがそれをよく知っていると思う。

私は彼をあまりにも賛美しましたか?
あなたはどのように思いますか?

パソ通と明星と私【3】香港飛翔編

(立志編からの続き)

1998年7月、梁家輝ファンの友人と二人、ついに初の香港観光ツアーに参加。新しくできたばかりの空港に降り立った。残念ながらその前日か前々日に黄耀明啓徳空港さよならコンサート」に出演した後で、彼を生で見られる機会はなかった。

それでも初の香港にテンションは上がり、恋する惑星に出てくるヒルサイドエスカレーターに乗り、当時まだ存在した蘭桂坊のミッドナイトエクスプレス(ここもロケ地の一つ)の写真を撮り、泊まるホテルにほど近い重慶マンションで両替。

香港映画ファンとしてロケ地巡りを満喫した後は、黄耀明ファン活動も忘れてはならない。日本にも少なからずファンがいるということを、レコード会社にアピールするのだ。

名古屋の空港で買っておいた敷島製パンの和菓子なごやんを手に私が向かったのは、もちろん黄耀明の所属するレコード会社・正東唱片。近くまで来たのにビルの場所がわからず、近くの適当なビルに入り「受付の女性にガッチガチのカタカナ英語で道を尋ね、何言ってるのか全くわからないという顔をされる」という生き恥を乗り越え、なんとか目的のビルにたどり着いた。

清潔感あふれるオフィスの受付のベルを鳴らし、出てきたスタッフにまたまたカタカナ(もはや英語ではない)で挨拶すると、奥から「日本語わかります」という若い女性が出てきて対応してくれた。

黄耀明ファンであることを伝えると、「今、担当者が外出してまして」と言われたが、元から担当者に直接会うことまでは考えてなかった。「皆さんでどうぞ」と、名古屋銘菓なごやんと「日本から来た黄耀明のファンです」と書いたメモを渡し、早々にオフィスを後にした。

「日本から黄耀明のファンが来て、お菓子を置いていった」という事実が数人の社員の記憶に残ればいいのだ。「あの人、日本にもファンいるんだね~(モグモグ)」くらいで。それが即、来日公演や日本盤発売に繋がるなんてありえないが、「日本にも結構ファンおりまっせ!」ということだけは伝えたかった。

翌99年、黄耀明は正東唱片から環球唱片に移籍してしまうんですが。

 

この「正東唱片アポなし突撃体験」をネットに書き込みしたことにより、私は黄耀明ファンの先達に発見され、何人もの国内の同志と知り合うことができた。その人々とあのパソコン通信の黄耀明ファンのメンバーは一人もかぶっていなかった。

黄耀明と達明一派には沢山というほどではなかったが、想像よりも多くのファンがいて、ほとんどが地方在住だった。私と同じ県の人が二人もいて、三人全員が同い年というのもちょっと驚いた。

やがてニフティサーブInfoWebとの統合、ニフティのフォーラムへの参加者の減少などもあり、黄耀明ファンのスレッドへの書き込みも途絶え、パソコン通信のユーザーもほぼインターネットへ移行していった。

黄耀明ファンの方々との交流はネット上だけにとどまらず、黄耀明グッズを買いに神戸、大阪に行くオフ会も開催された。みんな日本語以外の英語や中国語はある程度できるようで、日本語のみの私は「凄いな~」と感心しきり。黄耀明がイベントにゲストで出ると情報が出れば、個人演唱會でもないのに香港に飛んで行くアクティブな方も多数おられた。

 

そして2000年。ようやく私も、黄耀明「光天化日演唱會」を見に渡航できることになった。チケットはファン仲間の方の香港の友人が取ってくれた。よく考えると、今まで行った黄耀明や達明の演唱會のチケットは全て、人に取ってもらったものばかり……いつもすみません(初の演唱會体験の様子は、ライブレポの記事をご覧ください)。

さて個人演唱會の次は達明一派の再々結成、また次の個人演唱會と、何度も香港に足を運ぶうち、嬉しい出会いがあった。私が黄耀明のアルバムを購入するきっかけとなった、「楽しげに、熱意をもって」パソ通で語り合っていた人々に、演唱會の会場で会うことができたのだった。その時の気持ちを一言で言うと、「やっと会えたね」(by辻仁成)。

 その方々のお一人に言われた。「どうしてファンになったんですか?変なオッサンやなって思いませんでした?

どう返答したか忘れたが、今はこう思う。

その音楽も含めて、変なオッサンだからずっとファンでいるのかも。

変=代わりがいない存在。数多に存在する明星とはどこか違う、その「変」のありようが自分の心や好みにストンとはまる。黄耀明のファンは彼と音楽の趣味が似ている音楽通が多い印象だが、そんな素地がない私にさえも「こんな音楽が聴きたかった!」と思わせてくれる。

欧米と中華、エンタメとアート、メジャーとマイナー、変なオッサンとポップスター、そのすべてが複雑に絡み合い、同居している黄耀明。どんだけ多面体なんですか。

香港ぽくなくて、すごく香港的

こんな明星、ちょっとおりまへんわ。

パソ通と明星と私【2】立志編

(黎明編からの続き)

それからしばらくして、恋する惑星天使の涙などの王家衛作品が香港電影迷ではない世間一般にも知られるようになり、彼の作品に出演していた金城武フェイ・ウォンなども日本のメディアに頻繁に登場するようになる。『恋する惑星』を上映した映画館ではパンフレットと一緒に金城武のCDも販売していたので、熱に浮かされた状態でつい購入。アイドル然としていた頃の金城CDの内容は正直、「う~ん……」だったが、映画はまた見たくなって再度足を運んだ。同じ映画を映画館で二度見るのは初めてだった。

監督つながりで楽園の瑕(東邪西毒)を見てからは梁家輝(レオン・カーファイ)のファンになり、さらに梁朝偉(トニー・レオン)、張國榮(レスリー・チャン)と、好きな明星がどんどん増えるのは当然の成り行き。王家衛系からほど遠い、ベタな香港映画のビデオも毎日のように借りて見るようになった。

そんなある日、当時まだまだ盛んで、私も毎晩ログインしていたパソコン通信ニフティサーブ(主に邦楽や漫画のパティオに参加)に香港映画好きの集まりがあるのを発見。

香港映画カテゴリの中には『アジアの明星』というサブカテゴリがあり、さらにその中に各明星ごとの、映画以外の話題も何でもOKなスレッドがひしめいていた。それはまるで、地下室で行われる妖しくも煌びやかなパーティーのようで、「こんなにいろんなスターのファンがいるんだ!」と驚いた。

その中の一つが、黄耀明のファンが語らうスレッドだった。他の明星たちと違い、最近(当時)はあまり映画に出ていないらしく、歌手活動に専念しているらしい。以前なにかユニットをやっていて、再結成ライブをやったらしい。もとラジオのDJらしい。ケリー・チャンと同じレコード会社らしい……スレッドを読むとそんな内容がわかるのだが、私の買った香港明星ムックや雑誌に「黄耀明」なんて人、載ってるの見たことない。こんなに楽しげに、熱意をもって語られている黄耀明という人の曲を一度聴いてみたい! そう思うのは自然な流れだった。

1998年5月のある日、3時間近くかけて大阪の中華中心(チャイナセンター)にたどり着いた。多くの通販会員を持つお店で、中華ものの草分けだった。黄耀明関連のCDは何種類もあったと思うが、その時点での最新盤であるベスト風月寶鑑(1997)を購入。『禁色』という曲が収録されているのを見て、「これはきっと坂本龍一&デヴィッド・シルヴィアンの『禁じられた色彩』のカヴァーだ!」と早合点したのが決め手であった。

ジャケットに写る黄耀明本人らしい人物は濃いめの顔立ちで、当時まだ流行っていない言葉で言えばなかなかのイケメン。写真は全てモノクロで、アルバムタイトルはデザイン化された簡体字。ジャケットやインナーから読み取れる情報はそう多くないが、それが却って謎めいていて興味をそそられた。

 

期待いっぱい、ワクワクしながらCDをプレーヤーにセットする。

「なんか地味な曲だな、でも悪くない」「やはり中国の伝統音楽は取り入れるのだな」

「おっ、けっこう好きな曲調だ」「なかなかいい声やん」

バラエティに富んだ17曲を、あっという間に聴き終えてしまった。楽器の音一つから声質、メロディまで、気に入らなかったものは一つとしてなかった。

『禁色』は達明一派の曲で、『禁じられた色彩』のカヴァーではなかった。JAPANの『ナイトポーター』を親しみやすくしたような曲調で、『禁色』というタイトルらしい雰囲気もぷんぷん漂っていた。かと思えば『小王子』のように、シャボン玉が舞う中、妖精がワルツを踊っているようなドリーミーな曲もあった。これも、あれも悪くない……いやむしろとってもいい……かなり好きだ……いや、めちゃくちゃ好きなタイプのミュージシャンかも!

アーティスティックだけどポップで、陰があるかと思えば弾けるように明るく、エレポップ風の曲とアコースティックな曲のバランスも絶妙だった。

「17曲も入っていて全く飽きさせないなんて。ベスト盤じゃないオリジナルアルバムも聴いてみたい!」

私は広大無辺の黄耀明的世界への船出を決意した。

風月寶鑑から達明一派の代表曲『石頭記』を知り、そのことを昔から好きだった邦楽バンドのファン仲間に伝えると「それは紅楼夢の別名ですね」と教えてもらい、『紅楼夢』(子供向け)を読み始めた。

休日ごとに名古屋や大阪、京都のタワーレコードHMVに行き、黄耀明や達明一派、時には他の明星のCDも買ってみた。

ふたたび「中華中心」を訪れ、達明一派のライブVCDと林海峰とのジョイントライブのVCDを買った時は店主の奥さん(香港人)に「黄耀明お好きですか~? フフフ…」と微笑まれた。

相変わらずパソ通は続けていた。黄耀明の映画出演リストを書き込んでくれた方がいたおかげで、あちこちのレンタルビデオ屋に出向いて『ジョイ・ウォンの聖女伝説』や『ゴールデン・スワロー 魔翔伝説』を見たり。香港の番組に出演したビデオを東京の業者から一気に宅配でレンタルし(確かレンタル代合計が2万円近く)、来る日も来る日もダビングに追われたり。

ノストラダムスの大予言の年まであと一年。黄耀明にはまるきっかけを作ってくれたパソコン通信が終わる日は、まだ少し先のことだった。

パソ通と明星と私【1】黎明編

(これは2018年の私が書いています)

香港といえば、刑事ドラマの海外ロケで悪の組織が出てくる舞台だったり、Mr.Booだったりブルース・リーだったりジャッキー・チェンだったり、という程度の印象だった子供時代。

 

それからかなり経ち、日本にバブルやバンドブームというものが到来し、音楽番組「夜のヒットスタジオ」も邦楽ロック中心の「ヒットスタジオR&N」(戸川純バブルガムブラザーズが司会)とか海外アーティストが出演する「ヒットスタジオinternational」というスペシャル版も放送されるようになった。個人的には停滞期に入っていたと思うThe Style Councilもロンドンから中継で出演していたのを覚えている。ポール・ウェラーがハンチング被ってオルガン弾きながら歌っていたような。

その夜ヒットに、香港ではないがシンガポールディック・リーが『マッド・チャイナマン』の京劇の扮装で出演した。司会の井上順が「デイック・リーさんががあまりにいい男だから通訳の服部真湖さんがキャーキャー言っちゃって~」的な事を言ってたっけ。服部真湖さんじゃなかったらごめんなさい。

 

で、その時のディック・リーの洗練された曲調、ゴージャスなパフォーマンスに「へぇぇぇ~」と思い、「夜ヒットにシンガポールのキングオブルクセンブルグみたいな人出てたよ!」とキング~(サイモン・フィッシャー・ターナーの変名)や彼の所属するelレーベル好きの友達に話したら、「えぇ~っ!?」と微妙に嫌そうな顔をされた。当時、影響力のあったフリッパーズ・ギターがキング~やelレーベルがお気に入りだったという事もあってか、el界隈は洋楽ファンの間でけっこう人気があった。自分ではいい比喩だと思ったんだけどなー。

それから間もなく行ったフリッパーズだかピチカートファイヴだかのライブで並んでいる時、前にいた女の子に「最近注目してる人いる?」と聞いてみたら、「ディック・リー」という返答が。やはり、今まで国内や欧米のみに向いていた若い音楽ファンの目も、少しずつアジアにも向いてきていると思った。感性に響くものであればどの国出身であっても関係ないし、欧米の音楽で育ったアジアの優れたミュージシャンによるクオリティの高い音楽なら普通の洋楽ファンの耳にも馴染むだろうし、そこからアジア各国のローカル音楽に興味を持つリスナーも出てくるに違いなかった。

 

アジアと欧米の音楽のいいとこ取りであるディック・リーは間違いなく、いろんな人のアジアへの突破口を開いた。その後、何人もの黄耀明ファンから中華圏音楽への関心のきっかけとして「ディック・リー」という名前を聞くことになる。ついでになぜか「フリッパーズ・ギター好きだった」とも。

 

さて「夜ヒット」から更に年月が経ったある日。大阪に遊びに行った時、立ち寄ったCDショップで林憶蓮(サンディ・ラム)『野花』がかかっていた。当時、もう惰性でパラパラ眺めるだけだった音楽誌ロッキング・オンで、松村雄策氏がヴィヴィアン・チョウ、フェイ・ウォンなど中華圏の女性歌手を取り上げ始めていた。フェイはNOKKOとかCHARA系、なんていう大雑把な説明だったが。もちろんサンディのこの作品もディック・リーがプロデュースしたという情報込みで紹介されていた。

「あー、あのD・リーがプロデュースしたって人だ。結構いいなあ」と思った。

そしてまた別の日。

地元の美容室に行ったところ、店内にアジアンテイストなしっとり系女性ヴォーカル、かつお洒落に洗練されまくったサウンドが流れてきた。店内にいた美容師さんがそのCDの持ち主らしいヒゲメガネの美容師さんに「これ誰の曲?」と尋ねた。ヒゲメガネ美容師が誇らしげに「これが最近いいんだよ~」と取り出したのは……

またサンディ・ラムの『野花』! 

うん、いい、すっごくいい。これはもう、買うしかない!

 

こうして私は生まれて初めて、香港人アーティストの作品を購入することとになった。

地元の大きめのCDショップには、中華圏アーティストのコーナー(もちろん日本盤)ができていて、他には艾敬,寳唯、王菲(王靖雯)なんかのCDが置いてあって、「今、アジアの音楽が熱い!」的な冊子もあり、前述のアーティスト以外では羅琦が紹介されていた記憶がある。今思えば、ロックレコードの中華アーティストを陳列していたんだな。

松村雄策さん、大阪(心斎橋かな?)のたぶん今はないCD屋さん、いしかわじゅんを若くしたようなヒゲメガネ美容師さん、地元の大型CDチェーンさん、ありがとう。

 

黄耀明アルバム紹介(ただし、20世紀に限る)

顔文字含む全体のノリと無知さが痛いですが、98年夏に書かれた初心者の作文ですのでご容赦を!

不思議時空発生してるこの4枚でココロ奪われるの記

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4枚一緒のコーナーで失礼。「借借イ尓的愛」は絶賛廃盤中につき入手困難、当然私のような新米ファンは持ってません。

「信望愛」('92)は1曲めの「ロ那裏會是個天堂」がオシャレでびっくらこきましたことよ。しかし私が好きなのは「黐孑孑根」です。なんだか歌詞も面白そう。ああ、意味を知りたい。インストの「在花園裡」も大変いい感じ。タイトルがいかにも黄耀明らしい…お花とか天使とか、まるでイデアの世界。アートワークも含めて、このお耽美さは単なるコンセプトだったのか、本人が好きなのか、気になるところです。

「明明不是天使」('93)は帯タタキがすごい。「夢幻迷離的新世紀音響」「不可思議的偶像」そしてドでかい字で「世紀末最後一個偶像!」……。

「愛到死精選集」('97)は初期のベスト。この時期で一番好きな曲は浮遊感あふれる「毎天イ尓愛多一些」。黎明や學友の名前が織り込まれた歌詞も興味深いですね。曲調はまるで「パネルクイズアタック25」の「夢のハワイに挑戦!」のコーナーみたいでドキドキします。今にも椅子が回りそうで…それはタイムショックか。

 

耽美にして社会派。もう止まらないこの勢い!でもこのヴァージョン違いの多さは?

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ここからが正東唱片有限公司に移籍後の作品。「愈夜愈美麗」('95)には95年度の音楽賞を総嘗めにした「春光乍洩」、シャーリー・クァンとの合唱「萬福馬利亞」を収録。この2曲ももちろんいいけど、歌詞が良さそうでとっても気になる「天國近了」が私のお気に入りです。子守歌のように安らかな「大玩偶的揺籃曲」もよかですが、一番好きなのは琵琶の音色も印象的な下世紀再嬉戯」だな。正に天使の歌声(おいおい…)、生きててよかったという気持ちになるよ!ここで終わると思わせといて「風雨同路」(天國近了)が始まるのもニクイ。これの原曲は浅田美代子の「幸せの一番星」(by筒見京平)だと最近教えて頂きました。

「5餅2魚」('96)は、新曲+リミックス集…ですよね。「春光乍洩」が3ヴァージョンも入っていて「わーすげー調子に乗ってるわー」と思わせてくれます。やっぱ売れるときに売っとかんと、ってことかな。でもアコースティックな「春光乍洩」(一覧無遺)は嬉しかったりするので結局思うツボやね。それにしてもこのアルバムタイトルは何でしょう。聖書かなんかにそういう話があるんでしょうか。いつまでもなくならない5つのパンと2匹の魚とか…。確かに、「そんなことあるわけねーだろ」的な説話のようにこのアルバムは美しいです。ファンにとってはもらって嬉しい贈り物って感じかな。

「人山人海」('97)は新曲もあるけどほとんどカヴァー集…といってもただのカヴァーじゃない。 やっぱり「人山人海演唱會」見たかった!その頃知らなかったから無理だけど。香港返還の年にユニオンジャック柄の服を着た黄耀明が、香港の(他の歌手の)ヒットソングを歌いたおす!ってことはものすごく意味深いことであったでしょうな。

この頃、彼はイギリスのBBCのインタビューも受けているようです。その様子はhttp://www.bbc.co.uk/worldservice/hongkong/hkrr6.htでどうぞ。このアルバムは、他のアルバムに比べてヘヴィで、ダークで、躍動感があって…と、一つのイメージにとどまらず混沌とした状態が作り上げられています。最後にクレジットされていない「下世紀再嬉戯」が流れると、一気に気持ちが明るくなります。この中ではイーキン・チェンのカヴァー「友情歳月」が有名ですかね。私も好きです。

「風月寶鑑」('98)は88年の達明一派時代から今に至るまでの精選集&新曲。つくづく精選集多いなぁ、達明一派と黄耀明…。なんていう私はこのアルバムを春に買ってからのファンです。それからもう蟻地獄一直線!このアルバム、なんといってもマーク・ロイがリミックスした「毎日一禁果」がいいね!老狼さんとのデュエット「來」もいいな!老狼さんっていってもジイさんじゃなくて若いんですね(←超初心者)。黄耀明とテレビ出てるの見たけど、ちょっとフォークシンガー入ってる素朴なお兄さんって感じで可愛いかったな。老狼さんと黄耀明のなれそめを知りたいです。

てなわけで一応終わりです。黄耀明のニューアルバム(マンダリン)は9月に発売だそうですね。
わーいもうすぐじゃん!楽しみに待ちましょうね、みなさん(^^)

(アルバムは11月に延期のようです。ちなみに現在10月15日)←1998年です
 
★2000年5/17現在、まだ発売されていません…。

★「ALL北京語の新譜」という意味では2018年8/4現在、まだ発売されていません…(過半数が北京語のアルバムは出ています)

なおBBCインタビューは現在、NOT FOUNDです。

前略、ネットの上より

はじめましての方、お久しぶりの方、こんにちは!

こちらは香港のミュージシャン・プロデューサー、黄耀明(アンソニー・ウォン、Wong Yiu-ming)さんのファンが好き勝手なペースで更新したり、しなかったりする、個人的なブログです。

かつて存在した私個人のサイトは、香港映画や音楽の感想に日記など、よくある雑多なもので1998年8月に開設しましたが、サイト内に黄耀明さんのページを作ってからは、そちらの更新の方が楽しくなっていきました。

CDの紹介やら雑なイラストやら演唱會の感想などの他、VCDやVHSから画像をキャプチャしたアイコラもどきのアホなページもありました。単純に自分の遊び場として作ったもので、黄耀明さんの最新情報を紹介しようなどとは微塵も考えず、ファン同士の交流についても、「他に立派なサイトもあるし、ごくたまに検索して来てくれた人とゆる~くお話しできればいいか」という程度でした。

その後、PCの買い替えや環境、趣味の変化もあり更新が途絶えていき、ニフティのHPサービスが終了した時にサイト全体が消滅しました。途中から並行して始めたブログも、運営会社がなくなって消滅しましたし……(今はexciteに移行してひっそり継続中)。

あ、mixiもありましたね。あれも途中からパスワードを忘れたか何かで入れなくなり、再設定が面倒くさ~と思っているうちにログインしなくなってしまいました。

 

時は経ち、2018年7月。黄耀明さんがソロとしては初の来日公演を10月に行うとの発表がありました。SNSの時代になって久しいですが、この機会に20世紀末に作成していた黄耀明さんのページをブログに移行し、復活させることにしました。

みすず学苑の半田学苑長か?というほど「私!私!ぜんぶ私!」の自分語りオンパレードですし、だらだらした長文だし、最近よく目にする「対象との距離感を間違えてる」系って私のことだろ!という自覚はあります。以前に作成したページは今見ると恥ずかしい雰囲気が充満していますが、現在の自分や社会常識から見てそのままにしておきたくない部分は見つけ次第、修正してアップしています。今後は見る方をドン引きさせないよう、(できるだけ)気をつけていきたいと思います。

 

今、黄耀明さんについて語っている場を一つでも可視化することは、次の日本演唱會に繋がる小さな力になるとまでは言えなくても、一人でファンをやってる誰かにいつか、「こんな所にも仲間がいたんだ」と思ってもらえるかもしれません。たとえそれが過去ネタばかりのサイトでも、あるだけでも少しは違うのではないかと思います。

田舎でまだ見かける松山容子ボンカレー、大村昆のオロナミンCの看板のように、何十年たっても内容は変わらずとも、あるだけでその対象の存在をアピールし続けるブログになればと思います。

 

そんなわけで21年目のリニューアルです。よろしくお願いいたします。

f:id:tanayan_diary:20180804193938j:plainサインもメッセージも全て偽物です。描いたのもすごーーーく昔なので若かりし頃の明さんです